鹿児島~川内特急バスの記録(あとがき) |
昭和30年2月に創業者の林田熊一氏が、湯之元のみに停車し1日13往復する、当時類をみない「特急」の免許申請を行います。しかし串木野にも停車するように串木野市民が猛烈な陳情を行い、許可が下りる2日前に書類を再提出し、同年4月21日に免許が下り運行が開始されました。
運行当初「特急」に戸惑う人が多かったようですが、ほどなく受け入れられ、常に満員の状態だったそうです。そして串木野が一番のお客様だったとのこぼれ話も。
平成初頭にはテレビ付きの豪華な車両を投入し、停車地を見直して毎正時制の覚えやすいダイヤとした「GL特急」の運行が行われます。これは鹿児島本線のL特急有明を強く意識したものでしょう。しかしこのGL特急も定着しませんでした。
「さようなら特急 ありがとう特急」
その短い言葉にジーンときてしまいましたが、残り5日となって特急廃止を知ることになります。50番線が減便になる噂は聞いていたのですが、この様な事になるとは思いもよらず「何気ない日常を記録すること」を痛感させられる出来事でした。
参考文献「林田熊一傳」
取材協力 執印友之氏 徳重隼也氏