「三十番」の名の由来を探る。三十番(さんじゅうばん) |
それからほどなく、撮影位置に近いお宅に仕事で伺う機会があり、その方も地域で二番目に長老の男性(八十歳代)でしたが「公民会の名前でも字名でもない、わからん。正直もう、由来を説明できる氏はおらんじゃろ」と。ただ、「阿久根の大川に(十九番)と呼ばれる所ががある」というお話を聞くことができました。
そして薩摩川内市の歴史資料館へ。地名の由来を紐解く文献を探しましたが、探し出すことはできず、職員の方(おそらく学芸員的な方)に「これこれこーで。」と説明すると、「それは私も知りたいです、結果がわかったら私にも教えて下さい。」と言われてしまう始末。
最後の望みで市立図書館へ。ヒントとなる書籍とようやく出会えました。
南方新社(刊) 青屋昌興(著)「南九州の地名」参照
【火立番】津口番所(密貿易など海を見張る)等から急の知らせがある場合、狼煙(のろし)をつないで鹿児島城下まで知らせる役目
その中に甑島の地名と、西方(川内高城) 京泊(川内水引) 寄田(川内高江)と、海沿いの岬に火立番があったことが記されており、さらには地名として残る番屋・遠見として、阿久根の大川と川内の西方【遠見】と呼ばれる地名があるようです。
このことから、あくまでも推測ではありますが「三十番」停留所の辺りに【火立番】もしくは【遠見】と呼ばれる番所(番屋)があったのは間違いなく、この番所に番号が振られていたのではないか、西方には「三十番」、大川には「十九番」という具合に。重ねて言いますが、これはあくまでも推測です。
およそ2年がかりで、少しだけ胸のつかえがとれた気がするのです。
(もっと早よ図書館に行けば良かっただけの話。なので歴史資料館の方にも伝える気もなく・・・。)
2015年7月25日撮影