祁答院バスの記録(あとがき) |
薩摩川内市のホームページによると、平成9年の2月から開始された祁答院バス。
当時は市町村合併も行われておらず、薩摩郡祁答院町の通院バスとして立ち上がったと、前出のIさんに教えて頂きました。廃止されるまで停留所に掲示されていた時刻表にも、問い合わせ先が南国交通の宮之城営業所となっていましたが、私が取材した限りでは、平日の担当運転士さんも土曜日に担当する運転士さんも、川内営業所所属の方でした。察するに薩摩川内市に祁答院町が編入される以前は、薩摩郡つながりで宮之城営業所が運行を担当し、合併以降、どこかのタイミングで運行の移管が行われたと思います。
平日担当の運転士さんは町内在住の方でしたが、土曜日に担当される運転士さんは、旧川内市内からやって来て運行していたそうで、行路の複雑さも相まって、川内営業所でも3~4人の運転士さんしか、担当できなかったそうです。
コースのほとんどが山間部にあるために、ノコギリやナタを車内に常備してあり、行路に倒木竹がある際は運転士さん自ら対処されていたそうです。実際に6月27日に撮影に訪れた際も、10分近く遅延した便があり「雨で竹が倒れっせ切いかて難儀した」と、白いシャツを汚して運転士さんがお話しして下さいました。
この日の夕方の最終便(大瀬戸行き)が藺牟田池付近の倒竹で遅延。
・車両について
平成27年の4月頃まで運行されていた「けどういんバス」と車体に書かれた車両の詳細は、鹿児島のバスファンサイト「バスフォーラム鹿児島」のホームページにて閲覧することができます。
http://busforumkagoshima.on.coocan.jp/rejister/200a/0100/0068.html
私が撮影することが無かったフロント側からの写真を記録されています。
2001年(平成13年)登録ということは、平成9年の発足から4年間は別の車両を使用していたようですが詳細は不明です。(発足当初はいすゞの中型車が充当された新聞記事を見たと、「バスフォーラム鹿児島」を運営されている、執印様より情報を頂きました)
「鹿児島 200 あ・・68」は、おおよそ15年間祁答院町内を走り続けた訳ですが、記事からも分かる通り、山間部の高低差の激しい道や、タイトなダイヤ設定でエンジン系統のダメージが早かったようです。最後は「竜仙館」付近の坂を登っている途中に息絶えたそうです。(その9)で出てきた蒲生駅前での「鹿児島 200 あ・343」は年式的にほぼ兄弟みたいなものなので「長く走り続けてほしい」と書いた次第なのです。
今回の特集記事で、6月29日の午前まで運行していた車両は「上甑島バス事業団」にて運行されていたもので、市町村合併後「薩摩川内市営バス」として、その後運行委託された南国交通の車両として「あ・・68」の後釜に充当されたようです。車体塗色が濃紺の部分が多く、実に写真写りが暗いために「絵的に映えないね」と、Iさんも残念がっていました。平日担当の運転士さんは「力が強くて喜んでたんだけどね、電気系統のトラブルでダメだった。あと1日やったてねえ(笑)」
「生活センター前」~「鹿児島銀行前」6月27日撮影。
廃止から1か月ほど過ぎた7月末、再び路線跡を訪ねてみました。
バスはもう来ませんが、淋しさを吹き飛ばしてくれますね(笑)
四季を通じて記録できていれば・・・、と悔やんでも悔やみきれません。
2か月に渡り特集した「祁答院バスの記録」お付き合いありがとうございました。